筆文字法語 〜私が出会った大切な言葉〜

浄土真宗(真宗大谷派)の僧侶が、心に残った言葉を筆文字で書き綴っています。

生まれて つながって 助けられて

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 ふと、自分の誕生について考えてます。

 

はからずも生まれ出て、

多くの人に受けとめられて、

今日まで生きることができて、

そんな私が愚痴を言っている。

ただただ、

すみません

ありがとう

です。

 

 

【今日の法語】

     ある日 この世に誕生

     それから私には

     むすうの人のつながりがあって

     量りしれぬ助けをいただく

                                      榎本栄一

雑にならぬよう

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日々の出会いを通して、

雑談しているのか?

対話できているのか?

問われました。

 

【今日の法語】

      対話というのは

      問題が明らかになってくる。

      問題が明らかになってこないような対話は、

      そりゃ雑談である。

                                                     宗正元

拝んで、拝んで。

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仰々しく、恭しく、祈り、 願う。

「何よりも、誰よりも、この私に良き結果を!」

消えないんですね。この心が。

 

【今日の法語】

     神さまを拝んでいる     仏さまを拝んでいる

     と言っているけれども、

     実は、自分の都合のいいようになりたい

     ということなのです。

     それを明らかにすれば

     結局は、欲望を拝んでいる

     ということになるのです

                                                    片山寛隆

地獄の製造元

 

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思い通りにいかない時、

どこを見て、原因探しをしているのか?

問われてるように思います。

 

【今日の法語】

     我執煩悩に生きている私たちの生活から地獄がないと言えるでしょうか

     私たちは現に日々、地獄を造りだしているではありませんか

                                                                                            池田勇諦

成就しなければならないのは…?

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「安心したい!安心したいから、あれが欲しい!」

「人に認められたい!認められたいから、あの能力が欲しい!」

そんな思いがきっかけとなり動き出す。

ということを繰り返していますが……。

そこにある問題…、

今の自分が認められないという問題を見失いつつありました。

 

先日、久しぶりに恩師にお会いして再確認しました。

お話を聞き、私へのよびかけを聞き、

そして、自分の中にある問題と再会しました。

いや、ずっと目の前にあったのに、気づかなかっただけですね。

 

自我を元にした自分の願いが成就するということと

人間として成就するとはちがう。

自分は何者になろうとしているのか?

何者かになる必要はあるのか?

それは、大切にしなければいけない自分自身を消していくことになっていないか?

今の自分は不十分だと感じる、そのものさしは正しいのか?

そもそも、ものさしで自分をはかる必要なんてあるのか?

 

日ごろの視界が変わると、次から次へと問いが止まりません。

有り難いです。

日ごろのこころだけでは、有ること難い世界です。

 

 

【今日の法語】

     身がまえない

     このまま ありのまま

     それが人間成就ということか

     生涯の課題である

                                  浅田正作

「あったりまえ」…か。

職業柄と言っていいのか…、お参り先ではご高齢の方とお会いする機会が多いです。

そして、度々会話の中で、

「歳をとると、いいことないわ。体も思うように動かなくなるし…」となり、

「そうなんですね。でも、いつまでも元気でいて、長生きしてくださいよ」と返す。

この流れが、何度かあります。

 

先日、吉沢久子さん(家事評論家・エッセイスト)の

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というお言葉に出会い、クスッと笑った後、「そうだな」と納得させられました。

永年生きてきて、弱ったり、ガタがくることは「あったりまえ」なんですね。

 

お釈迦さまは、

「生苦」「一切皆苦」、

「生きる苦しみ」「すべてみな苦しみである」

と教えてくださっています。

これを受け止めれば、「いつまでも元気で…、長生きして……」

なんて言うのは無理難題を要求するようなものでした。

申し訳ない軽口を発していたなと反省しております。

 

寄る年波を認める、引き受けるということに、人生の歩み方が大きく関わってくるのですね。

 

 

そういう私は、アンチエイジングよろしく、たまに筋トレをします。

すると、二日後くらいに筋肉痛がやってきます。

「年のせいか……?」と少し落ち込みそうになります。

そんな時「あったりまえだな」といいいながら、

筋肉痛の箇所をポンポン叩いてくれる吉沢さんの姿をイメージして

引き受けていけたらなと思いました。

 

いや〜、97年生きてきた方のお言葉には、深さと重み、そして説得力があります。
それでいて軽やかさも感じるので、なんだかすがすがしいです。

 

土は 〜 広いな 〜 大きいな

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好きな人は支えたり…

嫌いな人は支えなかったり…

 

しかもしかも、だまって支えるだけではなく、

「私は支えたぞ」と勝手に恩を着せたり…。

 

そんな私は、大地にだまって支えられているんですよね。

 

そんな私は、足元に、大地に向かって、

「申し訳ございません。いつもありがとうございます。」と、

頭を垂れたことがありません。

 

 

【今日の法語】

   好きな花も  嫌いな花も

   みな土の中で  根っ子がだまってささえている

                                                                     真城義麿