筆文字法語 〜私が出会った大切な言葉〜

浄土真宗(真宗大谷派)の僧侶が、心に残った言葉を筆文字で書き綴っています。

人生の主導権は

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「自分で選んだ道だから、言い逃れしようとしてはいけないな。」

しんどい時や、嫌なことがあった時、

そう言って、自分の気持ちを入れ直す時があります。

それは、まず、自分が居て、あれこれを選んだということ。

それは、いつも、自分に主導権があると思い込んでいるということ。

 

でも、もし、場所や道に、意思のようなものがあるとしたら、

「おまえは、愚痴が多く無知な人間だから、ここで育てられよ」

と、願われ導かれているのでしょうか。

自分の境遇の受け止め方が変わる気が……。

一時ですけど。

 

 

 今日の言葉:「還暦を前に地元が好きに」59歳・男性の投稿(中日新聞・2017年1月掲載)より引用

オモリをはずして

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体じゅうにオモリがついていると、身動きがとりにくくなります。

本当は、軽やかでありたいのに。

イメージ、固定観念。いろんな種類のオモリがあります。

誰かにオモリをつけようとしたり、

自らオモリをつけようとするときはありませんか?

そんなことすれば、楽しく飛び跳ねることができないと知っているはずなんですけどね。

何ででしょう?

 

 

 今日の言葉:月刊『同朋』2017年2月号(東本願寺発行)より引用

能町みね子(のうまちみねこ):エッセイスト・イラストレーター・漫画家

 

“かげ”に支えられて

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「おかげさま」という言葉は、大抵、うれしい出来事があったり、事態が好転した時にでるよなあ〜。

と思っていましたが、そうでもないと教えられました。

 

ある日の新聞記事にて、タレントのピーコさんのインタビューを読みました。

ピーコさんは、左目にメラノーマというがんを患い、28年前に眼球を摘出したそうです。

そのため、不便を感じる一方、新たな気づきもあったと語っておられます。

 

手術後半年くらいは、(一卵性双生児の弟の)おすぎがほとんど仕事を代わってくれた。

あの人はもともと優しいから。家族も友達も、いつもそこに居てくれたのが大きかった。

私はそれまで自分一人の力で生きていると思ったの。人の悪口をよく言う結構、嫌なやつだった。

でも多くの人に支えられていたんだと病気になって初めて気付いたの。

 

道端の小さな花に気付いたり、暑くて大嫌いだった夏の風を心地よく感じたり。

空もよく見上げるようになり、片目を失って見えてきたものがあった。

                                                              「中日新聞 (2017年1月)」より

 

 これは、「おかげさま」について語っておられるのではないか…。

病気、手術、そして、片目を失う。辛く苦しい出来事だと思います。

しかし、それらを通して見えてきたものがあると、ピーコさんはおっしゃいます。

 

思えば、人間誰しも、嫌なことや辛いことに出会わざるを得ません。

それらが、自分に何ももたらさなかったかというと、そうではない……かな、と。

 

人間は、あらゆることに育てられるのですね。

唯我独尊に、励まされて。

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それぞれの人が資格、才能、技術など、その人が持っているものを生かして、社会や地域に貢献する。それを企業や行政などが支え、応援する。高度経済成長の「企業戦士」「モーレツ社員」とは違う、新しい生き方を目指す。それこそが本当の「働き方改革」でしょう。

と、ある日の社説に綴られていました。

 

私、今春、肩書きが一つ増えるのですが…。

不安でいっぱいです。

しっかりと務まるだろうか…。

これまで担ってこられた先輩方のようにこなせるだろうか……。

自分の力不足を露呈するだけではないだろうか………。

 

そして、お釈迦様のお言葉を思い出しています。

「唯我独尊」(ゆいがどくそん)

   ただ我、独りとして尊し

何も足さない、何も引かない。そのままのあなたで尊いんですよ。

力不足でもいいじゃん。間に合わない君でもいいじゃん。

むしろ、そんな存在を世間に問うたらいんじゃない?

なんて、そこまでお釈迦様はおっしゃらないか…。

 

とにかく。唯我独尊。今このお言葉に励まされています。

いや、励まされようと思って、このお言葉を目にしてるのかな?

 

確かに、ある役職について、誰がやっても同じような成果が出る、

どなたも同じような力量で務めあげれるのであれば、その組織は安定するのでしょう。

しかし、そうはいかない面白さ、大切さもあるのかな、と。

人間は厄介なもので、その人自身より肩書きが先行する場合があります。

あたかも肩書きがその人の全てを表すような……。

違いますよね。肩書きの前に一人の人間です。

私たちはヒトです。モノやカネではないですね。

一個でもなく、1円でもなく、一人です!

(励ましのおかげで、顔が上を向いてきたぞ!)

そんなわけで、自分なりにやればいいかなという心境になっています。今は。

とりあえず、不安は横に置いといて。

 

 

 

願うのは、つながりか?分断か?

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先日、ハリウッド女優、メリル・ストリープさんが、ゴールデン・グローブ賞の特別功労賞を受賞されました。その受賞スピーチで、「軽蔑は軽蔑を生み、暴力は暴力を生む」と述べました。

某次期大統領の振る舞いを批判する意味での発言だったようです。

 この言葉を聞いて思い出したのが、今日の法語です。

漆間時国(うるまときくに)とは、浄土宗・法然上人のお父様です。

法然上人が9歳の時、夜襲され亡くなられました。

その遺言が、「恨みをはらすのに、恨みをもってするならば、人の世に恨みのなくなるときはない。」

だったと伝えられています。

 

軽蔑、暴力、恨み。どれも、つながりを分断する要因です。

ストリープさんと漆間時国氏が願う世の中とは?

そして、私自身、どのような世の中を願っているのか?

その確かめを迫られます。

 

暴力はいけない。これは、わかっています。明らかに傷つける行為ですから。

では、軽蔑したり、恨むことはないかと問われたら……、沈黙してしまいます。

 

信じ難い事件や事故の報道を見聞きした時、「何で、そんなことするの?」「どうしようもない人だなあ」と思ったり(軽蔑)、何か不快に感じることがあった時、その犯人探し、責任の所在を自分以外のところに探し始める。

言葉をきっかけに省みると、とても危なっかしい自分を知らされます。